目的を達成できずに諦めてしまったことがある人!
はい!!
そう、誰しも何かを諦めて生きています。例外はないでしょう。
いや、別に難しい仕事を諦めた事があるとかでなくても、私生活で今週の燃えるゴミを出すのを諦めた、なんていう些細な事だっていいんです。絶対あるでしょ?
諦めた事がない!って人がいたら教えて下さい。この記事を書き換えなくちゃいけない。。
「諦める事は全て悪」という世の中の風潮にモノ申したくてこの記事でいろいろと書き殴りたいと思います。
「目的」、それは何をする時も設定する必要のある「ゴール」の事を指します。
自分が目指す場所ですね。
大きなプロジェクトだろうが、日々のルーチン作業だろうが、何らかの目的があるはずです。
「目標」という言葉も同じように使われますが、より定量的な表現の時に使います。
例えばTOEIC900点を取る!とか、センター試験で180点を目指す!といった場合に目標という言葉を使いますね。
ところで、設定した目的に到達出来ればそれはそれで喜ばしい事ですが、その目的・目標が達成できなかったとしたらそれは本当に全て失敗なのでしょうか?
そうじゃないよね?という事の証明をするべく、目的・目標を達成できない行動・努力について考えてみます。
目的達成へ向けた行動。諦めたら終わり?
人は皆、日々自分が立てた目標(或いは他人が立てた目標)へ向け行動していますね。
何かを成そうと努力しているわけです。
そんな中、見事目的を達成していく人もいれば、途中で挫折して目的を成せない人も出てきます。
完璧な人間などいませんから、すべての目的・目標を達成できるとは限りませんよね。
自分一人の力ではどうにもならない外的要因とか、人的要因とかも色々ありますし。
そして、
「諦めたら試合終了だよ」
っていう安○先生の言葉が有名です。
頭にこびりついてしまっている言葉・・・
目的・目標を達成できずに途中で止めてしまったらそこで何もかもお終いだ、的な使い方をされます。
しかし、本当にそうでしょうか?
目的に到達できない行動・努力は全て無駄なんでしょうか?
目的以外の価値あるゴールが有り得る
当初の目的・目標を逸れて、違う道に進む事って結構ありますよね。
当初の目的が達成できない時、或いはそもそも途中で諦めてしまった時ってどうなんでしょう?
ノーベル賞受賞に見る目的以外のゴール
毎年ノーベル賞授与のニュースが流れてくるとよく聞く言葉があります。
それは
「偶然の新発見」
です。
ノーベル医学賞や物理学賞など、科学分野の受賞経緯でよく話題となりますよね。
最初は別の目的を目指して実験していたが、ある時、
「間違って」
「気の迷いで」
「たまたま」
そんな感じでちょっと違う事をやってみたらそれが大発見に繋がった、なんてストーリーをよく耳にします。
このように、当初の目的・ゴールと違う方向に価値を見出した、なんて現実が実際に起こるんですね。
ただ、間違ってはいけないのは何の努力もなしに常識はずれな事をやってれば良い、という事ではありません。
ノーベル賞受賞者はその類まれな才能以上に途方もない努力を重ねてきたはずです。
「努力した者が全て報われるとは限らん。しかし! 成功した者は皆すべからく努力しておる」
という鴨川会長(マンガ:はじめの一歩)の言葉は自分の中でかなり響いてますね。
想像を絶する努力をしたからと言って全ての人が成功するわけでは無い、でも成功した人と言うのは皆必ずと言っていいほど膨大な努力をしている、という事実。
このように、当初の目的を外れる事があったとしても、偶然の発見から世界を変えるほどの価値を紡ぎ出す事が出来る、という事は起こり得るのです。
ちょっと道を外れたからといって卑下するモノでもないな、という気持ちになりませんか?
途中で止めた事でも
とは言え、「そんな偉大な人たちの話題出されても・・・」と思う気持ちも分からんではないので、安○先生の発言「諦めたらそこで試合終了」についてもう少し考えてみたいと思います。
何かに取り組んで途中で諦める、生きていれば誰しも1回は経験する事ですよね。
10回、100回と、諦めた経験を持っている人もいるでしょう。
自分も結構諦めてきたな
諦める事が人生と言ってもいいかも
当初の目的を達成できず、ノーベル賞級の成果を出せたわけでもなく、ただただ途中で止めてしまった取り組みというのは、本当に価値がないのでしょうか。
自分はそうは思いません。
何であっても経験した事は無駄にはならない、というか無駄にしないように生きれば良い、と言う風に考える事にしています。
途中まででもやってみた事があるのなら、そのノウハウは自分の中に蓄積されますし、その時に知り合った人がいればそれもまた財産となります。
その取り組みを始めていなかったら得られなかったあなたの価値です。
とにかくまず始める事
このように、途中で止めてしまった物事でも経験した事はあなたの中に知識として残ります。
つまり、まず始めてみる事が大事、ということが言いたい。切に言いたい。
失敗を恐れて、あるいは面倒くさいから、という理由で何も始めない事こそが最もまずい。というのはこれまで生きてきた経験から見てもあながち間違いではないと思っています。
始めた取り組みを途中で止めてしまって当初の目的・目標を達成できなかったとしても、
「今回の事は自分に向いてなかったな!」
という事が分かっただけでも大きな収穫なわけです。
始めなければ分からなかった事ですからね。
まず始めてみて、とにかく何でも経験しましょう。その結果として目的に達しなかったとしても。
何もやらないよりは万倍マシだ!と心に留めながら。
諦めた事も全て糧に
諦めた事を悪い事として終わらせるのではなく、次の行動の始まりだ!くらいの気持ちで行きましょうよ。
挫折なんてよくある事。全然だめじゃない。挫折してからが人生本番!と思えるかどうか。
諦めた経験をどこかで活用
途中で諦めてしまった事、目的を達成できなかった事も、全て自分の知識・ノウハウとして活用してやる!位の気持ちを持てる人が強いです。
途中で止めてしまったことを、まるで「無かった事」のように記憶の片隅に追いやってしまい、その後の人生で行かせない事こそがもったいない。
失敗というのはトラウマになってしまう人もいるけどね
そう、思い出したくもない過去としてしまう事は簡単です。
そこで自分の糧として活かす事が出来るか、忘れ去ってしまうかがその後の人生の岐路を乗り切る切り札になる可能性だってあるのです。
諦めた事で開ける道もある
例えば自分が好きな事だったとしても、延々と成果が出ないままひたすら続けることが正しいと言えるでしょうか。
まぁ答えなんてないですよね。
ひたすら続けた先の先で、大成功する未来だってあるかもしれない。でもそんなの誰も分からない。
もしかしたら好きな道を諦めて別の道に進めばもっと早く頭角を現せるかもしれない、なんて事だって起こり得るんです。
諦めた事により人生の次の展望が開ける未来があってもおかしくない。
人生、どちらにどう転ぶか分かりません。諦めない方が良いのか諦めた方が良いのか。永遠のテーマとすら思えますが、自分がやりたいようにやるのが一番だとも考えています。
全ては自分が納得できるかどうかですからね。
途中で諦めたっていいじゃない 人間だもの
ということで、目的・目標を達成できなかった取り組みでも、やりようによっては無駄でないどころか、人生の荒波を乗り切る手段として使えることだってあるんだよ、という持論をお伝えしました。
特に日本特有ですが、一度失敗したりレールから外れたりすると成功ルートに戻れないよね、なんて言われる事がたまらなく嫌で筆をとってみました、もといキーボードを叩いてみました。
途中で諦める事が全て「悪」みたいにされている事に相当な違和感があったんですね。
そんな事言ったら、諦めた事がないひとなんてほぼいないんだから、全人類が全部「悪」になっちゃう。そんな生き難い世の中、どうかしてるぜ!と思ってしまいます。
道半ばで止めた事だって無駄じゃない、諦めた事によって開ける道だってある!という事を切に言いたい。
人生、何かを諦めて後ろ向きになっている人に向かって特に言いたい!何か一つ諦めても、次の目的・目標に進んで欲しいです。
諦めた事があったとしてもそこであなたの人生が終わるわけではないのだから。
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