他人に迷惑を掛けるな!
こんな事を言われながら育ったという人は多いと思います。何とも日本的と言うか。。
もう完全に「刷り込み」ですね。何度も何度もこう言われれば、それが当たり前であるかのように感じてしまう、そんなの当たり前です。
でも何故他人に迷惑を掛けてはいけないのでしょうか。
あなたの心や体が壊れてしまうような状況になっても「他人に迷惑をかけること」(他人に頼るといってもいいかも)は悪なのでしょうか。
あなたの人生はあなたのモノなのに・・・?
今回は「他人に迷惑をかけるな!」に囚われない方が人生豊かに生きられるのではないか、そんな提言をしてみたいと思います。
人は迷惑を掛けて生きている
あなたは生まれてきた時、両親や周りの人に祝福されながら、そして同時に育ててもらうために「迷惑」を掛けながら生きてきたはずです。
所かまわず時かまわず、うんこやおしっこを垂れ流し、食事は与えてもらえなければ生きて行けず、夜中にはワンワン泣きわめく。そんな生活を長く続けてきましたよね。
少し大きくなっても、何でもない事で友達とケンカする、親を叩く、急に道路に飛び出して車の運転手をびっくりさせる、そんな事も散々やってきたはずです。
いつしか自分の足で歩けるようになってからも、無茶して病気したり怪我したり、わがまま言ったり怒ったり、周りの事なんてお構いなしに「迷惑」を掛けてきた場面があったはずです。
だって、生きるってそういうことでしょ?周りに良い意味でも悪い意味でも影響を与えなければ生きる事なんて出来ないんですよ。
大人になったからと言って、何故「他人に迷惑を掛けてはいけない」のでしょう?
そりゃぁ自分に超絶余裕があって全てを受け止めて菩薩のような心と顔で生活できているのなら、迷惑を一切かけずに生きて行くことだって可能でしょう。
でもそんな人いるの?
自分を殺せと言っているのと同じ
「他人に迷惑をかけるな」は、つまり
「自分を表に出すな」
「自分を押し殺せ」
「自分で嫌な事を飲み込め」
そう言っているのと同じです。つまり極論は「(精神的に)死ね」と言っているのと同じなんです。
はっきり言って、これが今の「日本の閉塞感」を生んでる元凶なんじゃないかとすら思えて仕方ないんです。
個性が大事だと言いながら、自分を押し殺せという価値観、この矛盾が大きすぎて子供たちも窮屈そうで自分を発揮できていないし、大人もストレスに押し潰されそうになっている、そんないや~な日本になっちゃってる。
他人に迷惑をかけずに自分を出して思いっきり!なんて出来る訳ないんですよ。
で、出来ないから成長と言うか伸びしろが潰されてしまって沈んでいく、そんな人をたくさん見てきました。私もその一人でしょうけども。きっとあなたも・・・。
短絡的ではありますけど、中国とかアメリカとか見てみて下さい。他人に迷惑かけようが何しようが思いっきりやってるじゃないですか。
世界の経済大国1位と2位、もはや日本のモノ作りなんてとっくに追い越されちゃって、衰退していくのみ、みたいになってしまってます。んでそのうちここにインドも突っ込んでくると・・・。
なぜ迷惑を掛けてはいけないのか
子供の頃からそう言われ続けているから、なんていう思考停止回答はやめにして、ちょっとだけちゃんと考えてみるとします。
なぜ他人に迷惑をかけてはいけないか、それはずばり
「責任を取りたくない(取らせたくない)から」
これに尽きると思います。
会社を休んで同僚の負担を増やせば何かしらの埋め合わせを暗に求められる、子供の面倒をじじばばに見てもらえば何かしらの見返りを求められる、旅行に行けばお土産を強要される、そんな閉塞的な考え方をしている人が多数だから生きにくい人が大勢出てくるんじゃなかろうか、と考えてしまいます。
人を物理的に傷つけたり、お金を盗んだり、とかそういう犯罪レベルになれば話は別ですが、少し他人の負担を増やしたって気にしない、そんな考え方が増えたらまたちょっとは変わるんじゃないかなー、とそう思うんです。
迷惑を掛けるなと言われて育つと他人の行為を迷惑がるようになる
親に「迷惑を掛けるな!」と言われて育った子供は、他人の行為に対して極度の悪意と言うか、嫌な感覚を持ってしまいます。(うちの奥さんがそんな感じ・・・)
他の人がする言動が全て、とは言わないまでも多くの部分が「迷惑」に感じてしまうようになるのです。
なぜなら、「迷惑=悪」と教えられて育ったのだから当然ですよね。
これは良い事なのか・・・?と思っちゃいますよね。
そうではなく、迷惑を掛ける・掛けられるのは当たり前のことなんだと教えて、迷惑を掛けられた時にしっかり断ったり、意見を言ったり、受け止めてどうにかしたり、そんな行動が取れる子供に育てたい、と思うようになりました。
そして逆に自分が迷惑を掛けてしまった時はそれを理解して素直に謝る、んで謝ったらその事については終わり!そんなスッキリした人間に育てたいのです。
自分もそうなりたいね
なんでもかんでも人の言動を迷惑に感じる、我関せず、他人に興味なし、みたいな人間を量産することが正しい事だとは思えません。
「他人に頼る」と「他人に迷惑を掛ける」を混同している?
人にちょっとでも負担になる事をすると途端に「人様に迷惑を掛けるな!」という輩が登場してくるので委縮してしまう人もいるのですが、自分が弱っている時などは「他人に頼る」ことを考えてみるべきです。
なんでもかんでも「迷惑」と捉えてしまうからおかしくなっているんじゃないかなー、と強く思います。
これまで述べてきた通り本来人は人と関わりながら生きて行くしかない生き物です。野生の一匹狼とは違うんです。
いや、俺は一人で生きてる!
なんて言ってみても結局は公共交通機関だって使うし、様々な厚生サービスだって使うし、どこかの店で買い物だってするしで、全然一人でなんか生きてませんよ。
山奥で一人暮らししてる人だって、結局その山は誰かの管理物です。
結局人は人と関わって生きてます。時には、というかいつも「人に頼って」生きていてるはずなんです。
それをあたかも全て「迷惑を掛けてる」なんて捉え方するから窮屈な日本になってしまったんだろうな、と。
ちょっと考え方変えてみませんか。
苦しい時は人に迷惑をかけたっていい
つらいこともあるし、嫌な事なんて日常茶飯事、ネチネチうるさいヤツ、たばこ臭いヤツ、嫌味なヤツ、あなたの生活にダメージを与えてくる存在は少なからずいるはずです。
その度に全て受け止めて背負い込んでしまってはあなたがつぶれてしまいます。
というか、既にそいつらがあなたに多大な迷惑を掛けているのです。
前述の通り迷惑を掛けられるのは当たり前だとしても、あなたはそれを無理して受け止め続け、そして耐え続ける必要があるのでしょうか。
私は昔それで心をやられて長い事低空飛行を続けてきたので、そんなあなたの頑張りを理解できているつもりですが、正直「人に迷惑かけた」って良いんですよ。
いやむしろ迷惑かけて、世話になって生きて行く、それであなたがあなたで居られるならそれでいいと思いませんか?
嫌味を真に受けて、ストレスを抱え込んで、いつもいつも会社に行くのがつらくてつらくて仕方ない、そんな人生になるくらいなら、会社を休んだり、嫌な仕事をブン投げたり(得意な人にやってもらう、という考え方)、気分転換で好き勝手やったり、それがあなたの心に安らぎを与えるのであれば、積極的に「迷惑」を掛けてもいいのでは、と思ってしまって仕方ありません。
迷惑を掛けられているのなら、あなただって他の人に思う存分迷惑をかけてあげればいいんです。無理をして抱え込む必要など微塵もありません。
少なくともそういった心持ちで居た方が気が少しは楽になる、そう思いませんか?
社会人のおかしなルール
社会に出ると、おかしな人、おかしなルールが目白押しです。
それらに心と体を苦しめられている人もいる、あなただってそうではないでしょうか。
それらに押し潰されてしまうくらいなら、「迷惑をかけたって良い」そう思って生活することで少しでもあなたの心を軽くしてみませんか。
徹底的に謝罪を求められる
連日のように不祥事に対する謝罪がテレビで流れています。
最近では
・ボクシング業界でのパワハラにおける謝罪
・体操業界でのパワハラにおける謝罪
・政界で言った言わないの水掛け論
まさに「責任を強要される」、そんな場面です。
そして何度説明しても、何度謝ってもなかなかマスコミと世間の目は許してはくれません。
狂ったようにどのマスコミも連日同じことを放送してますけど、ばかじゃない?って思いませんか?
もっとためになる、もっと楽しい、もっと人生の気付きになるようなことを放送してくんないかな、率直にそう思ってしまうんです。
自分が購入した商品の利益の一部が、広告費としてマスコミに流れ、その活動資金になってると考えると何とも空しい気持ちになります。。
国会でもくだらない謝罪やら責任の追及やらでちっとも国民のための政策が進まない・・・。もう勘弁してよって思いますよ。
なんでもかんでも説明しろ!誠心誠意謝罪をしろ!土下座しろ!こんな事ばっかりやってたら当事者もそうだし周りの人の気分も害していくだけです。
んで、肝心の事はさっぱり前に進まない、そんな茶番ばかりやっているのが今の日本、そんな風に感じませんか。
終着点の見えない謝罪や歯抜けの説明を繰り返すだけなら、もっと前向きに、建設的にやれることをやってリカバーすれば良いだけだと思うのです。
迷惑を掛けたら、前向きにフォローして先へ進む、そんな世の中の方が良いと心底思います。
定時帰り・有給を取る=悪い事
仕事をきっちり終わらせて定時で帰る人が査定を下げられ、遅くまでダラダラ残っている人が評価される。アホかと。
有給を積極的に取ってリフレッシュ、家族と楽しい時間を過ごす、そんな人が評価されずに、メリハリも無く休みも取らずに働き続ける人が重用される。バカかと。
そんな空気だから、本当は早く帰ったり有給取ったりしたい人が我慢を強いられ、やがてやる気を失い心身の調子を崩していく・・・。
「俺が遅くまで働いてるのに早く帰るとは何事だ!」
「休日出勤で頑張っているやつもいるんだ!」
この辺のバカな考え方を変えないと、ストレスのアリ地獄から抜け出せない人がどんどん増えて行って、生産性が頭打ちになって、結局は国力を落とす結果になってしまうだけです。
上の人間が積極的に変えて行こうとしてくださいよ、全く。むしろ早く帰れ、そう言ってくださいよ。
もちろん仕事量をコントロールした上でね。そうしないと家に仕事を持ち帰っちゃう人が出てくるから。
変えて行きましょうよ。
んで、早く帰って有給も存分にとって、他人に少し負担を掛けようがお互い気にもしない、そんな世の中の方が素敵ですよ。
私は生きるために自分の考え方を変えた
自分に荷が重すぎる仕事、嫌で嫌で仕方がない仕事、ストレスでおかしくなりそうな仕事、そんな仕事のためにあなたの人生が暗く淀んでしまうのはとてももったいないです。
そんな仕事をするために会社に入ったわけではないし、そんな事のために生きているわけでもないでしょう。
そんな仕事なら、得意な人にやってもらう、50%の出来で良しとする、思い切ってやらない、そんな選択肢があったっていいじゃないですか。
私も昔は
「自分がやらなきゃ迷惑かけちゃう・・・」
「期日までに絶対に終わらせなきゃ・・・」
「嫌で嫌で仕方ないけどやんなきゃ・・・」
こんな考えでずっと仕事していました。正直、これのせいで心身の調子を崩してしまったわけです。
もう今は考えを変えて、
「自分が出来なくてもあいつにやってもらお」
「適当にでも終わらせとけば御の字」
「嫌だから適当に流そ」
ちょっと極端ではありますが、これくらいの心持ちで居るように心がけています。
なんでもかんでも自分で背負い込んだら、その重みで自分がつぶれちゃいます。
そうなれば他人に対するちょっとした負担どころか、取り返しのつかない事態になってしまう可能性だってある訳ですから、これくらいでちょうどいいんです。
思い込んで抱え込んでしまうクセのある人は、ぜひ少しずつでも考え方を変えていきませんか。
まとめ
いかがでしたでしょうか。「他人に迷惑をかけるな」が実は良くない考え方なのではないか、という事について自論を述べさせてもらいました。
まぁ、この意見に反対の人も多いと思います。
でも、人に迷惑を掛けない事を徹底した挙句に自分がつぶれてしまうよりはよっぽどいいです。
「迷惑をかける事が当たり前」そんな社会になったとき、日本がどうなっているのか、ちょっと見てみたい気はします。
今の日本では無理かもしれませんが、あなただけでもそんな考え方を出来れば、周りも少しずつ変わってくるかもしれませんよ。
最後までお読み頂きありがとうございます。もし少しでも役に立ちそうだと思われたら、ソーシャルメディアでの共有をお願いします。
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